音まちHISTORY

所沢では、大正時代にできた2つの劇場(所沢演芸館、歌舞伎座)により、第二次世界大戦以前から、クラシック音楽をはじめ浪曲や民謡を視聴する機会がありました。一方で、レコードや蓄音機の普及により、個人の家でも音楽を楽しむ機会が増えていきました。

市民による音楽活動が高まったのは、昭和30年代初めのママさんコーラスに始まったといえます。コーラスの活況により、やがてオーケストラなどを切望する動きが生まれ、所沢市民吹奏楽団や所沢フィルハーモニー管弦楽団の設立につながりました。

同時に発表の場として市民会館が開館すると、必然的にそこが音楽団体の定期演奏会や音楽活動の拠点となっていきました。しかし、施設の狭隘化や老朽化の問題から、より大きな施設の建設を待ち望む声が高まり、平成5年に所沢市民文化センター・ミューズがオープンし、市民の音楽環境の充実につながりました。

一方で市内においては、世界の一流演奏家の楽器を制作する村松フルート製作所が知られるようになり、全国初の芸術学科だけによる総合高校となった県立芸術総合高等学校の開校と市内中学校の合唱コンクールの数々の入賞実績は、市民の音楽への関心や誇りを感じさせ大きな影響を与えたといえます。

現在所沢市では音楽を通じた交流や音楽環境の活性化を図る「音楽のあるまちづくり」を推進しています。所沢は音楽環境に恵まれ、音楽活動が活発な地域といってよいでしょう。


コラム① 所沢市民文化センター・ミューズ

平成5年にオープンした文化施設。アークホール(2,002席)、マーキーホール(789席)、キューブホール(318席)の3つのホールのほか、展示室、練習室、会議室を有し、あらゆるタイプのコンサートやイベントに対応できます。年間約70の主催公演では、人気アーティストによるクラシックやポピュラー音楽、寄席、伝統芸能、映画、展示会などを開催しています。

3つのホールの特徴は以下のとおりです。

  • アークホール

オーストリアの名門リーガー社の製作による国内最大級のパイプオルガンが備えられたクラシック音楽に適したシンフォニーホールです。


  • マーキーホール

イギリスのシェークスピア劇場のスワン座を参考に設計された馬蹄型の演劇ホールです。


  • キューブホール

室内楽を目的としたサロン風のホールです。


音楽コラム② 航空記念公園野外ステージ

航空記念公園開園(昭和53年)にともない建設された施設です。当初は客席部分に屋根がなく文字通りの野外ステージでしたが、現在は屋根が取り付けられ、全体が白く大きな紙飛行機に覆われるようなデザインになっています。

昭和57年にTHE ALFEEが初の野外イベントを開催し、一躍人気グループの仲間入りをした地として知られ、その後も夏の恒例イベントとして続きました。

最近ではさらなる利用活性化を目指して、所沢にゆかりのあるミュージシャンを含む「空飛ぶ音楽祭」も開催されました。

なお、野外ステージは音楽以外にも、かつてテレビ特撮シリーズのヒーローショーなどが開催され、子どもたちの人気を博すなど、さまざまな用途に使用されています。


音楽コラム③ 市民の音楽イベント

クラシック音楽や合唱の分野において、市民主体の音楽イベントとして特徴的なものがいくつかあります。1つは「所沢で第九を」演奏会です。昭和58年に第1回が開催され、依頼市民の手による演奏会として30年以上続いています。このほか、合唱団体(女声・男声・混声・の各団体や連盟)・所沢市民吹奏楽団・所沢フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会をはじめ、さまざまな活動が展開されています。

まちづくりセンターのホールを会場としたクラシックコンサートとして長年親しまれている演奏会もあります。松井まちづくりセンターと小手指公民館分館では、器楽や室内楽の演奏会を、開館直後から毎年開催しています。前者は「松井クラシックのつどい」、後者は「花水木の咲く街のコンサート」です。クラシック音楽を身近に楽しむ場を提供したいという願いから、地元の音楽関係者を中心に実行委員会を組織して始まりました。こうしたコンサートが開催できる背景として、所沢はほとんどの公民館で音響・照明設備を備えたホールを備えていることがあります。

詩吟、民謡、歌謡の分野でも、昭和40年代より各分野で順次連盟が組織され、公民館ホールや市民会館・ミューズなどで発表会が催されています。


音楽コラム④ 所沢ゆかりの音楽家(ミュージシャン)

所沢市出身、あるいは在住・元在住者などゆかりの音楽家がさまざまなジャンルで活躍しています。クラシック界ではソプラノ歌手の森麻季、テノール歌手の大岩道也が挙げられます。平成15年には指揮者・米崎栄和がブザンソン国際指揮者コンクールで最高位を受賞しています。

開設当初からミューズのアドバイザーとして長年にわたりパイプオルガンの普及に努めているオルガニストの松居直美も既に所沢ゆかりの音楽家といって過言ではないでしょう。

日本のR&B界の至宝・小坂忠や頭脳警察のPANTAも所沢ゆかりのミュージシャンです。梅津和時はジャズの領域に留まらずRCサクセションのサポートメンバーとして忌野清志郎の信頼を得ていたサックス奏者であり、盟友のベーシスト早川岳晴も所沢ゆかりのミュージシャンです。そのほか音楽番組「イカ天」出身の元たまの石川浩司、元セメントミキサーズの鈴木常吉、あるいは人気タレントの所ジョージやYOUなど、数え上げれば枚挙に暇がありません。


音楽コラム⑤ 所澤小唄・所澤音頭

大正時代から昭和初期にかけてレコードや盆踊りの普及により、地域の活性化の一つとして、各地で地域独自の小唄や音頭がつくられました。所沢は織物の町として繁栄した昭和5年に、全国的な宣伝の一つとして、上野松坂屋の織物意匠部の永井白湄による作詞と中山晋平作曲のコンビで「所澤小唄」をつくり、レコード販売され織物の売り上げに一役買いました。昭和12年には松村義人作曲による「所澤音頭」が作られました。これらには振り付けもありました。

こうした動きは第二次世界大戦後もみられました。昭和26年には商工会議所設立記念として古賀政男作曲になる「所沢音頭」が、昭和45年には「所沢市民音頭」、昭和55年に「所沢新小唄」が作られました。また、地域限定として、新所沢東地区の地域活性のために作られた「しんとこ音頭」は、地元選出議員の作詞で作られました。これらは、今でも盆踊りや公民館文化祭などで流され、市民に親しまれています。平成になってからは、「トコろん音頭」(平成26年)という歌も作られました。


音楽コラム⑥ 村松フルート製作所

大正12年、創始者村松孝一により研究を始め、日本におけるフルート製作の第一歩が始まると同時に、今日の「ムラマツフルート」の基礎を作りました。昭和32年、法人組織となり、昭和48年、現在地である所沢市内に本社及び工場を移転し、現在に至ります。

「ムラマツフルート」は、国内はもとより全世界にまで販路を持ち、「TOKOROZAWA JAPAN」と刻まれたフルートは、世界に名高い著名なアーティストにも愛用されています。


この記事は『所沢市文化芸術振興ビジョン』(平成30年1月 所沢市発行)の特別編「所沢の部下芸術ってこんなにすごい!」~過去から現在までの文化芸術 Scene~から抜粋し、一部修正したものです。